池上本門寺散策

2013年02月20日(水)
P2201556.jpg

旧大堂は、昭和20年4月15日の空襲で焼けてしまい、戦後は仮堂でしのいでいたが、第79世伊藤日定聖人が精力的に各地を行脚し、全国の檀信徒ならびに関係寺院等からの浄財寄進を得て、昭和39年、ようやく鉄筋コンクリート造の大堂の再建にこぎつけた。聖人は落慶後ほどなくして遷化されたため、大扁額「大堂」は第80世金子日威聖人の揮毫になる。内陣中央の大型御宮殿(建築厨子)に日蓮聖人の御尊像、いわゆる祖師像を奉安し、向かって左に第2世日朗聖人像を、右に第3世日輪聖人像を安置する。また、外陣の天井画を大田区在住の川端龍子画伯に委嘱。画伯は、その龍図の完成をみることなく逝去されたが、奥村土牛画伯が眼を点じて開眼供養をとげた。未完ゆえ龍と判別しがたいが、画伯の遺作として、今も多くの人が訪れる。
 なお、旧大堂だが、第14世日詔聖人代の慶長11年(1606)、熱心な法華信者として有名な加藤清正公が、慈母の七回忌追善供養のために建立、間口25間の堂々たる大建築であった。清正公が兜をかぶったまま縁の下を通ることができたと伝える。その壮観さを江戸の人々は「池上の大堂」と称し、これに対して、上野(寛永寺)は中堂、芝(増上寺)は小堂と呼んだという。旧扁額「祖師堂」は本阿弥光悦筆であった。同堂は、惜しくも宝永7年(1710)に焼失、24世日等聖人代の享保8年(1723)、徳川8代将軍吉宗公の用材寄進で、当時の倹約令に従い間口13間に縮小されて再建された。ちなみに同公は、大岡越前守を普請奉行に、釈迦堂・大客殿・大書院なども建立寄進している。旧祖師堂以下、すべて戦災で焼失した。
http://honmonji.jp/i/keidai/10daido.html





P2201558.jpg


P2201559.jpg


P2201561.jpg


P2201563.jpg


P2201564.jpg


P2201567.jpg


P2201566.jpg


P2201569.jpg


P2201571.jpg


P2201574.jpg


P2201576.jpg


P2201579.jpg


P2201582.jpg


P2201585.jpg


P2201589.jpg


P2201591.jpg

水仙
P2201594.jpg


P2201604.jpg


P2201605.jpg

力道山の墓
P2201607.jpg
関連記事



人気ブログランキングへ

にほんブログ村 写真ブログ 写真日記へ
にほんブログ村

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://crazytrain51.blog.fc2.com/tb.php/127-c0d10901


ブログパーツ